2013年5月30日木曜日

地元出身の偉人のせいで、小学校や中学校の授業内容が影響を受ける事例

 私の出身地・和歌山県橋本市からはオリピック金メダリストをふたり輩出(はいしゅつ)している。

 ひとりはベルリン=オリンピックの女子200m平泳ぎで金メダリストになった前畑秀子(まえはたひでこ)であり、もうひとりはメルボル=オリンピックの男子200平泳ぎで金メダリストになった古川勝(ふるかわまさる)である。

 ちなみに、古川勝の姪っ子(めいっこ)とそのいとこを知っているが、このふたりはなんの努力もしないでも、もとから相当に身体能力が高く、そのふたりをはるかに凌(しの)ぐ身体能力の持ち主である古川勝が猛練習して、やっと金メダルがとれるということから、金メダルというのは大したもんだとつくづくと感心したことがある。

 それはともかく、小学校や中学校では夏の間、梅雨が明けきらぬうちから水泳の授業が始まり、9月になっても水泳の授業があった。その間の体育の授業はすべて水泳であったと記憶している。

 中学校の水泳部は、1日あたり1万メートルを泳ぎこんでいた。

 幼少のころは、全国の学校では、夏は水泳の授業しか行なわれないものだと思っていたし、水泳部は毎日1万メートル、泳ぐものだと思っていた。

 しかしながら、東京の学校では、自前のプールがないので、水泳の授業が年間3回しかないとか、まったくなかったりする学校も存在する。どちらかというと、学校ではなく、スイミング=クラブ主体なのである。

 そういえば、消しゴム版画家の故・ナニシー関(せき)のエッセイ集によると、彼女は、世界的版画家・棟方志功(むなかたしこう)と同郷であり、棟方志功の影響で、小学校の図画工作の時間は、ほとんど版画ばかりを彫(ほ)らされていたという。

 どこでも、そういうもんらしい。

 ところで、多変数解析函数論(たへんすうかいせきかんすうろん)への貢献で世界的に有名な数学者・岡潔は大阪市の生まれであるが、和歌山県伊都郡(いとぐん)紀見村(きみむら)にある尋常小学校と尋常高等小学校高等科を卒業しており、また、終戦を挟んで10年くらいを今の橋本市で過ごしている。

 しかし、数学・算数教育にはとりたてて力は入れていなかったのが不思議だったけれども、最近になって「橋本市おもしろ算数数学教室」や「橋本市岡潔数学WAVE」というのを立ちあげて、力を入れ始めたそうだ。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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