2012年12月30日日曜日

南京陥落後の南京での写真を中心に集めてみた。

 南京陥落後の写真を中心に、それ以外にも、支那事変あたりの写真を集めてみた。






南京入城後、帝国陸軍の兵士たちに対する恐怖のあまり、正常な判断力を失い、のんびりと日常の農作業に勤(いそ)しむ南京の農民。早急に逃げなければならないという判断ができなってしまうくらいの恐怖であったようだ。









恐怖のあまり、引きつった顔で逃げようとする南京市民たち。笑っているように見えるのは、なにかの勘違いである。




 


 


チャイナ服を着た支那人女性がひきつった顔で日本兵を出迎え、命乞いをしようとするところである。画像をクリックして拡大して見ると、笑顔のように見えるが、それは間違いである。

 







帝国陸軍を怖れ、廃車などに隠れようとする支那の子どもたち。楽しそうに遊んでいるように見えるが、それはなにかの勘違いである。



帝国陸軍兵に挾まれ、恐怖のあまり、顔がひきつっている南京の子どもたち。喜んでいるように見えるが、それはなにかの間違いである。



 


 


南京陥落後、驢馬(ろば)に乗って、日本兵から逃げようとする南京の子どもたち。楽しそうに驢馬(ろば)で遊んでいるわけではない。
 

南京陥落直後に、支那の子どもを拉致しようとする帝国陸軍兵。子どもの表情は、ひきつっている。


 

 


命乞いをするための布石として、帝国陸軍兵と一緒になって萬歳(ばんざい)をしている南京市民たち。南京市民に対して散々(さんざん)乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)を働いた上に、南京市民を見捨てて、とっとと逃げ去った蒋介石軍が恋しくて堪(たま)らない心情を裡(うち)に隠さざるを得ない事情をわれわれは察するべきである。 


 

 


日本兵に手を差し出されて、恐怖で顔が歪む南京市民。笑っているように見えるのであれば、視力検査を受ける必要があろう。


 


 

 

南京外交部跡の野戦病院にて、支那傷病兵(しなしょうびょうへい)を懸命に治療する皇軍の衛生兵。治療をしているのは、のちに、人体実験を行なうため、サンプルを健康体に揃(そろ)えることで、データの信頼性を高めるためである。ここまでくると、もはや、鬼畜としかいえない。





 
 以上、南京陥落後の南京の写真であった。

 以下は、その他。


日本兵に取り囲まれ、戯(たわむ)れに陸軍戦闘帽をかぶせられた支那の物売りの子どもたち。悲しげな表情が同情を誘うのではなかろうか? 画像をクリックして拡大すると、悲しげに見えなくなるので、クリックしないように。


 

 


支那兵に街を焼かれ、逃げ遅れた支那人の老婆を背負って、避難地まで救出するふりをして、拉致(らち)しようとしている日本兵。哀れである。

 

 

 

 

 

 


日本兵の下手糞(へたくそ)なオルガン演奏を無理矢理(むりやり)聴かされ、閉口する支那の子どもたち。酷(ひど)い音楽を聴かされる以上の苦痛はなかなか存在しない。これは拷問(ごうもん)にほかならない。



 


 以上、狙(ねら)いどおりにはいかなかったお笑いネタだった。

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和歌山県橋本市出身。世界文化遺産である高野山の麓です。
和歌山県立橋本高等学校を経て、早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業。
B型Rh+。天秤座。家紋は「丸に九枚笹」。
大叔父(おおおじ)は精鋭集団である帝国陸軍航空審査部所属で、「キ61(きろくいち)の神様」と呼ばれた坂井雅夫少尉。キ61は三式戦闘機「飛燕(ひえん)」のことである。

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