2012年12月19日水曜日

ダニエル=イノウエ死す。

ダニエル=イノウエDaniel Inouyeが亡くなった。88歳だった。

日本名は井上建(いのうえけん)。「建」には、ハワイに移民しなければならなくなった井上家を建て直すという意味がこめられている。

イノウエはInouyeと綴(つづ)る。uとeの間にyが入る。「井上」は歴史的仮名遣(れきしてきかなづかい)では、「ゐのうへWinouhe」だから、Inouyeは歴史的仮名遣いに基づくものでもない。

彼は第2次世界大戦の勇士であった。アメリカ合衆国の軍人に与えられる最高の勲章である名誉勲章Medal of Honorを与えられている。

彼の所属した第442連隊戦闘団the 442nd Regimental Combat Teamは、大統領感状Presidential Unit Citationを7枚も与えられ(日本でこれに匹敵するのは加藤隼戦闘隊(かとうはやぶさせんとうたい)くらいである)、議会名誉黄金勲章Congressional Gold Medalも与えられている。

帰国した部隊をアメリカ合衆国大統領が自(みずか)ら出迎えたのは、第442連隊だけである。


あるとき、銃弾がダニエル=イノウエの胸に命中した。心臓の上だった。

しかし、2枚の1ドル銀貨を胸ポケットに入れており、銃弾は銀貨に中(あた)り、彼はなんともなかった。

その後、ダニエル=イノウエはお守りとして胸ポケットにその銀貨を2枚、いつも入れていた。

ところが、その銀貨を失(な)くしてしまった。


銀貨を失くした後の戦闘で、小隊Platoonを率(ひき)いて突撃した。

手榴弾(しゅりゅうだん)2個を投擲(とうてき)し、機関銃座を破壊し、さらにドイツ兵を死に至らしめることによって、もうひとつの機関銃座も無力化した。

その後、ドイツ兵が撃ち放った銃弾が腹部を貫通したものの、至近距離で交戦し続けた。

手榴弾(しゅりゅうだん)を投げようとしたところ、擲弾(てきだん)が肘(ひじ)に命中し、右腕を失(うしな)った。

残った左手で、右手でつかんだままの手榴弾を取り、ドイツ軍の陣地に向かって投擲(とうてき)し、機関銃座を破壊した。

ひとりの歩兵が3つの機関銃を沈黙させたのだ。

さらには、その後、右脚を撃たれた。

味方が助けに来たとき、「稜線攻略(りょうせんこうりゃく)に戻れ!Get back up that hill!」と叫び、意識を失った。

小隊は25人のドイツ兵を死に至(いた)らしめ、8人を捕虜にした。

ダニエル=イノウエは、1年8か月もの間、陸軍病院に入院した。


「私はランボーのように行動したんですよ。I behaved like Rambo.」と、微笑みながら、彼はインタビューで述べている。












































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和歌山県橋本市出身。世界文化遺産である高野山の麓です。
和歌山県立橋本高等学校を経て、早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業。
B型Rh+。天秤座。家紋は「丸に九枚笹」。
大叔父(おおおじ)は精鋭集団である帝国陸軍航空審査部所属で、「キ61(きろくいち)の神様」と呼ばれた坂井雅夫少尉。キ61は三式戦闘機「飛燕(ひえん)」のことである。

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