2012年12月9日日曜日

支那と呼ぶな、中国と呼べと日本に要請しているまさにその国がアフリカのことを「非洲」と呼んでいた。

 支那とは、インドの仏典を漢民族のことばに訳した[=漢訳した]際に、支那大陸を指すものとして用いられた。支那と訳したのは、支那大陸の住人そのものである。
 日本は東アジア文化圏には属さず、日本文化圏を形成している。どこかの皇帝に対して、天皇を据(す)えるのも、東アジア文化圏に属する、皇帝よりも身分の低い「王」ではないという意思表示であった。
 したがって、中華や中国という語を使用することは、日本文化圏を捨て去り、東アジア文化圏への編入を意味するので、一部の学者は中国なる呼称を用いてはならないとする。
 その支那は、日本以外の国には、自国の呼称についてとやかく言ってはない。この点から、呼称問題に政治的意図が強く感ぜられる。英国に対して、Chinaと呼ぶな、Central Countryと呼べとは言っていない。
 たとえば、ドイツ語で日本のことは「ヤーパンJapan」というなんとも間抜けな音の連(つら)なりで呼ぶと知っても、日本人は憤慨(ふんがい)はしないだろう。

 それはともかく、調べ物をするときに、ちょうどよい日本語のウェブサイトがない場合には、英語・フランス語・ドイツ語のウェブサイトを利用するし、その他の言語の場合は、Google翻訳にかける。アフリカに関するあることについて、支那のことばでの記事に辿(たど)り着いた。

 アフリカが支那のことばでは、「非洲」であった。
 「洲」はここでは「大陸」のことであるから、「非洲」とはすなわち「大陸にあらず」という意味になる。
 かの国の人々の底意地(そこいじ)の悪さが窺(うかが)われるというものだ。

 そういえば、かの国では、モンゴルは「蒙古」で、「蒙」は「くらい(暗い)」で、「古」は「ふるい(古い)」である。「蒙」は「啓蒙主義(けいもうしゅぎ)」や「無知蒙昧(むちもうまい)」などで用いられる。とはいえ、個人的には「蒙古襲来(もうこしゅうらい)」ということばがあるせいか、「蒙古」ということばは、勇ましくて強そうという印象が私にはある。

 その一方で、かの国では先進国に対しては美称(びしょう)としても差し支えないものもある。

英国 英国、フランス 法国、ドイツ 徳国、アメリカ合衆国 美国

 英国→英(ひい)でた国→すぐれた国
 法国→法(のり)のある国→秩序を維持するための規範のある国
 徳国→徳のある国→道徳的に立派な国
 美国→美しい国

 非洲や蒙古の扱(あつか)いとは著(いちじる)しく異(こと)なっている。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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