2013年1月12日土曜日

楽しき早稲田大学


昨日の日付(2013年1月11日)のブログに書き込んだものの、別枠(べつわく)にしたほうがよいと思ったものを、こちらに転載する。

早稲田大学の単位認定がいかに厳(きび)しいかに関するものである。

千葉県にある「普通科普通クラス」偏差値64「普通科選抜クラス」偏差値68の高等学校(国府台女子学院高等学校のことだけど)から早稲田大学法学部に合格したものの、1年終了時の成績に「優」がひとつもなかった。数日に亙(わた)る家族会議が繰り広げられたそうである。

岩手県の名門高等学校(盛岡第一高等学校のことだけど)(偏差値67)出身で、3年間オール5の成績で指定校推薦で早稲田大学第一文学部に進学したものの、「A評定」がひとつもなかった。A評定がひとつもなくても、大人気で、競争率の高いイギリス文学専修には進級できていた。相当に優秀な学生でもA評定が少ないということである。

早稲田大学教育学部を卒業したものの、「優」の上の成績である「秀」がひとつもなく、「優」も片手で数えられる程度であった。欠席せずに真面目に受講して、教場試験も受けたのに、「不可」になるという信じられないことをやってのける男であった。「書き賃(ちん)ぐらい、払え!」と怒っていた。教場試験で答案用紙に文字を埋めたのだから、「可」ぐらいの成績をつけろ、という意味らしい。第一文学部に対する劣等感から、かなり「不正」に近い裏工作(うらこうさく)をして、教育学部卒業後、早稲田大学第一文学部史学科東洋史学専修に学士入学(3年編入)した。しかし、専門外国語の予習ができないばかりか、レ点や返り点、送り仮名(がな)のない白文と呼ばれる漢文の史料(しりょう)も読めないので、中国史の演習授業の予習もできず、授業で訓読(くんどく)するようにと指名されても、まったくできなかった。5月の連休明けから大学に来なくなり、中途退学した。入学金・前期授業料など、80万円くらいで、「早稲田大学第一文学部中途退学」という学歴(正しくは学校歴?)を買ったようなものだった。

成績表を受け取り、学生食堂でカレーライスを食べていたら、テーブルの向かいにいる女子学生2人のうちのひとりが「もう、いったい、レポートで何を書けばAになるのか、さっぱりわからない」と泣きそうな顔で呟(つぶや)いていた。すると、もうひとりが苦々しげに、「私は(丸暗記だけでなんとかなる)語学だけはAで揃(そろ)えることにした。あとは、何を言っているのかわからない授業ばかりだし……」と応じていた。

私が下宿していたワンルームマンションの隣の部屋に、同じ学部の女子学生が住んでいた。彼女の友人たちは、出席しなくても、また、碌(ろく)でもないレポートを提出しても、必ず単位は出してくれるという教授の授業を科目登録した。レポート提出となって、その選択科目を前年度に受講した学生たちから、提出したレポートの下書きを掻(かき)き集めた。ところが、読んでみて、理解できるレポートは悉(ことごと)くD評定のものばかりで、C評定、B評定と成績がよくなるにつれて、何が書いてあるのかわからない部分が増え、A評定のレポートになると、まったく理解できないと、大騒ぎしていた。隣のお姉さんが私の部屋にやってきて、「ねえ、掃除機ちゃん、◯◯先生の□□の授業、去年、とったぁ?」と訊(き)いてきた。去年、提出したレポートの下書きを持って、女子学生で溢(あふ)れるワンルームマンションの一室に足を運んだ。「このレポートの成績、どうだった?」と訊(き)くので、「A評定だった」と答えると、「やっぱり、何が書いてあるのかさっぱりわからないもの」と言う。レポートや試験勉強で忙しいのに、その日の午後は、女子学生たちを相手に、その講義の内容を解説をした(あ、羨(うらや)ましいとは思わないでね。早稲田に美人はいないから)。

女優の小川範子は、公募推薦かなにかで早稲田大学社会科学部に入学した。早稲田祭でライブを行なったのが評価されたそうである。大学在学中は勉学を優先し、極力(きょくりょく)仕事を入れないでいたが、卒業までに5年かかった。ある新聞のインタビューで彼女はこう言った、「早稲田って、本当にすごいですね。あれだけ真面目に勉強したのに、『優』が1個しかなかったんですよ」と。ということは、文学部や理工学部でいうと、ひとつを除いてC評定とD評定しかなかったわけだ。あ、今、これを読んでいて、「可愛(かわい)いから別にいいじゃん」と思ったおっさんは、根拠(こんきょ)はないけど、反省しろよ。

「おいしいカレーライスの作り方」を教場試験の答案やレポートに書いたら、「優」だったという伝説がある。実際に、こうしたことは極稀(ごくまれ)にある。年寄りの教授が、成績の記入する箇所(かしょ)を間違えた場合である。早稲田の場合、この授業は難しすぎて、「可」すらとれる自信がないと、レポートや試験を放棄する学生が多数、存在する。全員が試験を受けていれば、学籍番号順に並んだ成績記入欄を順に埋めていけばいいので、記入ミスは生じにくい。ところが、試験を受けた学生と試験を放棄した学生が混じっているので、目の悪くなった爺(じい)さん先生が記入ミスをするのである。ところが、これを本気で信じていた学生がいた。彼は、前期試験・後期試験・レポートで「おいしいカレーライスの作り方」「おいしいキチンラーメンの作り方」などを書いた。勿論(もちろん)、凡(すべ)て「不可」であった。彼は中途退学して、お笑い芸人になった。ラサール石井である。あ、今、これを読んでいて、「ラサール石井なら、同情に値(あたい)しないな」と思ったおっさんは、根拠(こんきょ)はないけど、反省しろよ。

出席もとらず、学年末にレポートを提出しさえすれば、必ず「可」以上の成績をつける教授は、学生たちから「神」と呼ばれる。しかし、それを遙(はる)かに上回る教授がいた。出席はとるものの、レポートの規定(たとえば、400字詰め原稿用紙8枚から10枚など)を満たしてさえいれば、どんな内容でも、全員に「A」の成績をつけるのだ。その教授は学生たちから、「超越神(ちょうえつしん)」と崇(あが)め奉(たてまつ)られていた。個人的には「超越神」よりも「大日如来様(だいにちにょらいさま)」などのほうがいいと思うんだけど。それはともかく、早稲田大学には「国内留学」という制度がある。一定の年限(ねんげん)を勤めると、授業を一切、担当しなくてよく、教授会などの雑用もせずに、1年間、好きな研究に没頭(ぼっとう)できるのである。「△△という選択科目は『A』が簡単にもらえる」という噂を聞いて、駄目(だめ)な学生が群(むら)がる。ある年、その教授が「国内留学」となった。ところが、駄目な学生たちは「講義要項(こうぎようこう)」(今でいうシラバスsyllabus)を読まないから、その授業の担当者が変わったことに気がつかなかった。替(か)わった教授は、滅多(めった)なことでは「優」(B評定)すら出さない、A評定をもらったという学生もいない、「不可」を連発する、講義内容は難解である。だから、「鬼」と呼ばれていた。第1回の授業に出席した学生たちは、心の中で悲鳴(ひめい)を上げたに違いない。2回目の授業からは、9割以上の学生が出席しなくなった。

1年生のときのフランス語の文法を担当する講師が、こんなことを言った、「100点満点のうち、出席点が30点で、教科書に登場する単語や例文や演習問題およびその解答を全部、憶(おぼ)えておけば、前期試験・後期試験の合計点70点のうち、30点分は確実にとれる教場試験を実施します。全部の授業に出席して、教科書を全部、憶(おぼ)えれば、確実に60点になり、『可』はとれます」と。これは厳(きび)しそうだと思ったが、その講師は東京外国語大学出身で、東京外国語大学では、こんな甘い単位認定ではなかったらしい。実際、4年での卒業率は40%に満たない。その講師は「どんなに能力が低くても、努力を惜(お)しまなければ、『可』は出してあげる心優しいぼく」をアピールしていたのだった。ちなみに、当時、存在したフランス語の教科書でいちばん難(むずか)しいものを使用していた。

哲学科哲学専修(てつがっかてつがくせんしゅう)の必修授業(単位をとらないと卒業できない)で、イマヌエル=カントの『純粋理性批判』Kritik der reinen Vernunftを扱う演習授業があった。通常の筆記試験のほかに、『純粋理性批判』の原書からドイツ語の文章が出題され、訳すという問題も出された。第2外国語でドイツ語選択した者の場合、出題範囲は、『純粋理性批判』の本文全部だった。マイナー出版社Felix Meiner Verlagの所謂(いわゆる)「マイナー版」あるいは「ビブリオテーク版」では、本文が766ページある。また、フランス語・ロシア語・中国語選択者の場合にも、ドイツ語の本文を試験に出題し、訳させるが、心優しいこの教授は、フランス語・ロシア語・中国語選択者には、出題範囲を120ページ程度にしていた。ドイツ語以外の第2外国語を選択した者も、ドイツ語を習得しないと卒業できなかった。ある年度では、3分の1以上が中途退学したという噂がある。

大学1年終了後、政治経済学部や法学部の学生が、急にマスコミ志望になり、マスコミ就職用の専門予備校に通い始めるものが少なからずいた。ちゃんとした一流企業は、当時、3年終了時に「優」が20個以上なければ、指定校でも採用されなかった。この成績では大学3年終了時に「優」20個以上は確保できないと悟(さと)り、こんな成績でも入れる給料のよいところとなると、大手マスコミしかないとなる。だから、高田馬場や早稲田界隈(かいわい)にはマスコミ就職用の専門予備校がある。

理工学部を中心に、大学5年生・6年生になっても、1年次のドイツ語・フランス語を落とし続けて留年しているものがかなりいた。ちなみに2年次以降は、原書講読なので、日本語訳を必死で暗記すればなんとかなったらしい。

中学生や高校生のみならず、大学生にもフランス語やドイツ語の指導をしていてわかったことだが、東京大学・早稲田大学の第2外国語の授業(フランス語とドイツ語、それ以外の言語についてへ不明)は、中堅上位とされる大学(まあ、日東駒専のことだけど)の第2外国語の授業の進み具合と較べて、文法事項が4倍から5倍の速度で進み、1回の授業当たりの内容も5倍くらいである。つまり、20倍から25倍の学習量を要求される。今は、どうなのか知らないが、昔の難関大学は夏期休業がむやみに長かった。7月から9月下旬までは授業がなかった。4月・5月・6月・10月・11月の5か月間の授業だけで、12月には原書講読ができるようにするには、普通の大学の20倍から25倍、勉強しなければならなかったのである。フランス語の場合、京都大学はもっと凄(すご)かった。正確に発音できるようにと、発音専用の授業が、通常の授業のほかに、さらに週1回あって、めちゃくちゃ発音を鍛(きた)えられたそうだ。

当校で週に1回だけ非常勤講師をしていた早稲田大学理工学部数学科の学生は、フランス語やドイツ語とちがって学習の負担が桁違(けたちが)いに大きいロシア語を選択していた。言語学者によると、日本人に向いていない3大外国語は、英語・ロシア語・アラビア語であるとされる。そのロシア語選択者であったのだが、それでも、学部を卒業するときには、数学科60人中6番の成績であった。彼が負担の小さいフランス語かドイツ語を選択していれば、首席卒業していただろうと私は考えているし、当校での彼の教え子たちもそう考えている。その彼が、物理学の授業を受けていたところ、さっぱり内容が理解できなかったことがあった。授業が終わってから、数学科でいちばん物理学が得意な友人に授業内容を説明してくれるように依頼したところ、その学生も理解していなかった。つまり、数学科の学生全員が理解できない物理学の授業だったのだ。真面目な学生たちは物理学科の研究室の助手のところに出向き、懇切丁寧(こんせつていねい)に授業を行なってもらい、やっと理解できたという。

早稲田大学には、学生が100人いれば、上から3番目の学生に授業のレベルをあわせる教授・助教授がゴロゴロいる。1番目や2番目に授業のレベルをあわせないのが、教授・助教授の真心(まごころ)であった。

理工学部数学科で、数学のレポートを課す教授がいて、研究室のドアのところに提出箱を置いておき、たとえば、5月16日午前10時締め切りの場合、午前10時きっかりに提出箱を回収する。午前10時1分にレポートを持ってきた学生には受け取りを拒否した。1分遅れでその科目の落第が決定した学生が数人いた。

数学のレポートなんてものは、ちゃんと理解している学生のものを写せばよいだろうと高(たか)を括(くく)って、他人のものを写して提出した者が少なからずいた。そのレポートはワープロによるものは不可で、手書きでなければならなかった。すると、十全(じゅうぜん)に理解している者が清書するときに、ここでシャーペンを持ち替えるのは不自然だというのが多数あった。学生たちを呼び出し、本当に理解しているかどうかの口頭試問(こうとうしもん)が行なわれ、つぎからつぎへと落第が決定した。

ラミネート加工の学生証を最初に採用したのは早稲田大学である。それ以前には、紙切れの学生証に白黒写真を貼り、割印(わりいん)を押しただけのものだった。ところが、落第しそうな学生が、優秀な学生に学年末試験などで身代わり受験を依頼することが多かった。写真を剥(は)がし、身代わり受験をする学生の学生証の写真を貼りつけるのである。多少割印(わりいん)がずれていても、滅多(めった)なことでは発覚しなかった。しかし、大学当局は、このことに気づき、ラミネート加工を施(ほどこ)して、写真の貼り替えができないようにした。すると、学生証を紛失したといって、身代わり受験をする学生が、新たに学生証を発行するように依頼するようになった。学籍番号が同じで、写真の違う学生証を何枚も持っている学生が出現した。そこで、今では、大学入学時に提出された写真を卒業まで用いる方式に変更し、学生証を紛失したとしても、新たな写真ではなく、入学時にコンピュータに登録した写真の学生証が再発行されるようになったそうである。ところが、高校3年生の写真なので、大学3年生くらいになると、顔つきも雰囲気も変わっていて、本人がどうかを認証するのに、いくぶん、困難を来(きた)すようになった。奇抜な髪型で、髭(ひげ)を生(は)やしたり、奇妙な眼鏡をかけたりをして、本人認証が難しくなるようにすると、似たようなタイプだと身代わり受験ができるらしい。

教場試験で、座席指定がない場合、私はいつも前のほうの席で試験を受けていたので、目撃してはいないが、落第しそうな女子学生は、極限まで縮小コピーしたカンニング=ペーパーをスカートの中に潜(ひそ)ませていたそうだ。友人たちの証言によると、指定校推薦の女子学生に多く見られたという。

落ちこぼれ学生によるカンニングが絶えないので、前期試験・後期試験(学年末試験)の前には、1回でもカンニングが発覚すれば、その年の単位は凡(すべ)て剥奪(はくだつ)される旨(むね)の通達が何度も出されていた。

指定校推薦で早稲田に進学した者が、1つでも単位を落とすと、その高等学校は指定校推薦を取り消される。最低でも5年間は指定校推薦がなくなる。その学部への進学者が一定数に達していれば、5年後に復活する。ところが、以前は、進学校であったものの、近所に進学実績の高い私立の中高一貫校ができていたりして、進学者数が一定数に達しないという状態になっていることがある。その場合、指定校推薦は永遠に復活しない。すると、出身高等学校の近くに実家のある者の場合、なにかにつけて、「昔は早稲田の◯◯学部の指定校推薦があったけど、あそこの家のひとり息子が単位を落としたせいで、1980年から指定校推薦がなくなったそうだ」と、自分の出身高等学校の後輩に言われ続ける。帰省(きせい)して、実家から出たところ、出身高等学校の制服を着た高校生が、「あっ」と言って、こちらを指差(ゆびさ)し、それから、ひそひそを何かを話すということがよくあるという。「あのおっさんのせいで、早稲田の指定校推薦がなくなった」と言われているのではないかと思われ、帰省するのが辛(つら)いと言っている30年くらい前に卒業した早稲田OBがいる。

旧帝国大学合格者がおらず、早稲田大学・慶應義塾大学進学者の数人程度の高校の出身者で、5月の連休・夏休み・早稲田祭(大学祭)の休み・冬休み・春休みに、なにかと帰省して、本人が所属していた高校の部活動に顔を出す早稲田大学の学生は、漏(も)れなく「落ちこぼれ」である。早稲田のしょぼい学部の学生であっても、高校生当時は、その高校では秀才であったという過去の郷愁(きょうしゅう)に浸(ひた)りたくて、むやみに帰省するのである。トップクラスの学生であっても、勉学に忙しく、度々(たびたび)帰省している暇(ひま)はないのである。

卒業論文が期限までに仕上げられそうにない学生がいた。京都大学では、卒業論文にパンチ穴を空けて、紐(ひも)で綴(と)じるだけでよかったが、早稲田大学では、厳(おごそ)かに製本をしたものを提出しなければならなかった。中身がない分、卒業論文の見た目だけは立派なものにするという目的であった。卒業論文を仕上げてから、製本に出すと、どう考えても、論文提出に間に合わない学生が、白紙の原稿用紙100枚を製本業者に製本させて、それを提出し、その後、研究室の助手のところに出向き、白紙のまま製本させたものを助手が教授のところに届けるまでの数日の間に、とにかく、論文を書き込む荒業(あらわざ)をやった莫迦(ばか)が何人もいた。それに気づいた事務所側は、論文提出時に、製本された卒業論文の中に、ちゃんと文字が書いてあるのかを確認するようになった。

卒業論文提出の締(し)め切りの時間になると、卒業論文を受けつけるために指定した教室の鍵(かぎ)を内側からかける。1分遅れを認めると、つぎには2分遅れも認めなければならず、すると、3分遅れも認めなければならず、そうなると、延々(えんえん)と、卒業論文の提出を受け取り続けざるを得(え)なくなる。だから、時間きっかりに受け付けなくなるのだった。3分遅れで当該(とうがい)の教室に来た女子学生たちが、教室のドアをドンドンと叩(たた)きながら、「開けて! 開けて! お願いだから開けて!」と半狂乱(はんきょうらん)になりながら、叫ぶという修羅場(しゅらば)が毎年、繰り返された。ちなみに、男子学生は、意外とあっさりと諦(あきら)める場合が多いようだった。

卒業論文の指導教授と交渉(こうしょう)して、とにかく、400字詰め原稿用紙60枚に文字が書いてあれば、卒業させてもらえるように確約してもらった演劇専修の学生がいた。ところが、何を書けばよいのかわからなかった。冗談で、「30万円をくれるんだったら代筆してもいいよ」と私が言ったところ、翌日、30万円を持ってきた。文字が埋まっていさえすれば卒業できるというくらいのことで本当に30万円を貰(もら)うのは、さすがに気が引けるので、5万円だけ貰(もら)って、代筆した。口頭試問(こうとうしもん)をどうやってクリアするのかと思っていたが、「いやぁ、書いていたときには、それなりの考えがあって、そう書いたはずですが、正確には思い出せません」と誤魔化(ごまか)したそうだ。その論文の内容は、私が見たことのない映画の評論であった。その映画のパンフレットと数人の映画評論家が書いた文章を参考に、見てはいない映画の評論を書いた。それでも、B評定つまり「優」の成績だった。どうやら、演劇専修の学生は、まともな文章が書けないらしい。数年後、用事があって、彼の自宅に電話をかけたところ、息子が落第することなく、4年で卒業できるようにしてくれた恩人として母親が応対(おうたい)したので、ちょっと気まずい感じがしたが、留年すると、前期授業料(たぶん40万円くらい)と残った単位数✕5000円の費用が必要になるので、それをたったの5万円で回避してくれたということで、恩人ということになっていた。

以上、思い出すままに認(したた)めてみたが、なんとまあ、楽しい大学なんだろう。読み返してみたら、笑いがこみ上げてきた。

でもね、高校生のみんな、どうやら、今は、そんなことはないらしいぞ。第2外国語の負担も、ものすごく減っているらしい。だから、地頭(じあたま)が並(なみ)レベルの高校生も、安心して、勉学に励(はげ)み、早稲田に進学して、地獄を見てくれ

私が調べたところ、早稲田大学・一橋大学・東京工業大学・京都大学・大阪大学などには、きわめてハイレベルな授業があり、学生がついていけないものが少なくない。単位認定も厳(きび)しかったりする。ただし、京都大学は、どちらかというと、気楽に「可」は出しまくる。べらぼうに難しい授業が行なわれるのは、どうやら、東京大学への対抗心からであるらしい。東京大学に負けるもんかと、ハイレベルすぎる講義内容になってしまうようだ。しかしながら、一橋大学・東京工業大学・京都大学・大阪大学が東京大学への対抗心から、学生がついてこられない授業を展開するというのは、いくぶん理解できるが、早稲田が、なぜ、そんなことをするのか大いに疑問である(このことを一橋大学や京都大学の出身者に話すと、今のところ、全員が大笑いした。微妙な学歴自虐ギャグでは笑わないように心がけている者でさえ、大笑いしてしまうのである)。

追記:なお、最近になって、学生がついていけない講義をする教授たちに関しては、東京大学に対する対抗心からではなく、ヨーロッパの大学基準で授業をしているのではないかと思うようになった。英国では、大学生の中途退学率は23%だとかいうし、ドイツ共和国の大学卒業平均年齢は30歳である。一方、アメリカ留学組は、それほど厳しい授業をしない傾向があるように思う。アメリカの大学の数学って、極言(きょくげん)すると、精々(せいぜい)のところ、日本の進学校の高校レベルなんだぜ。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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