2013年1月11日金曜日

一部のマスメディア(マスコミ)は何故、偏向しているのかついて、精神分析の観点から考えてみた。

 ウェブを利用している人たちの間では、マスメディア(マスコミ)が偏向しているのは、最早(もはや)自明であるとさえいえる。

 では、なぜ、マスメディア、即(すなわ)ち、所謂(いわゆる)マスコミと称される新聞・テレビ・NHKなどが、異常なまでに偏向しているのかを、精神分析の観点から考えてみよう。勿論(もちろん)、精神分析は、厳密にいえば、似非科学(えせかがく)にすぎないから、一顧(いっこ)だにされなくてもかまわない。

 まず、マスメディアの人間のほとんどは、大学での勉強ができなかった。地頭(じあたま)が悪かったのである。

 勿論(もちろん)、地頭(じあたま)がよいちゃんとしたジャーナリストはいる。大雑把にいって、新聞学科出身者には立派な人が多いような気がする。成績が悪いから仕方なくマスコミ志望になったわけではないからだ。

 つぎに、反日的な言動をする行なうマスメディアの人間は、家柄(いえがら)や出自(しゅつじ)が悪く、且(か)つ、野心家であったと考えられる。

 さて、曾(かつ)ての日本では、1流企業は人材を効率よく確保するために、指定校制を敷(し)いていた。

 たとえば、「国立大学の旧1期校」からしか採用しないとか、「旧1期校、竝(なら)びに東京6大学と同志社大学と関西学院大学まで」とか、そんなふうに指定校制を敷いていた。

 これは、じつのところ、今でもそうである。建前としてはだれでも入社試験を受けられるということにしていても、リクルート社が運営しているリクナビというサイトでは、就職活動を始めた学生がそこに登録するのだが、偏差値の高くない大学の学生の場合、リクナビに掲載されている1流企業の会社説明会に出席したい思っても、定員が埋まっているからと拒否される。

 ところが、同じ企業の会社説明会に申し込んだ慶應義塾大学の学生の場合は、会社説明会への出席が許可されるばかりか、友人も誘ってくださいと催促(さいそく)される。

 東京大学の学生にいたっては、「東京大学の学生のみなさまには、一般の大学の方々とは別の日に、会社説明会を特別に行ないます。ついては、他大学の方々にこのことについてはお話しないでくださいませ」となる。

 1流企業の指定校に入学できれば、人生は明るくなると思ってしまう。

 ところが、よい人材が集まる優良1流企業の場合、たとえ指定校の学生といえども、大学での勉強で落ちこぼれたものは採用しない。その基準は、大学3年生終了時の成績での「優」の数であった。大学3年生終了時で、「優」が20個なければならなかったのである。その基準を満たせなければ、東京大学だろうが、京都大学だろうが、優良1流企業に就職できないどころか、門前払(もんぜんばら)いされたのである(一部例外はあるらしい)。

 大学3年生終了時に「優」が20個なかった学生が就職できるところは、マスメディア(マスコミ)つまり、新聞社・テレビ局・ラジオ局ぐらいしかなかったのである。あ、それからレコード会社もかな。

 大学によって、多少の違いはあるのだろうけれども、大学3年生終了時で、取得している科目数は、だいたい50を超える。

 それで、「優」というのは、中学の5段階評価の成績表でいえば、「優」は「4」である。「良」が「3」で、「可」は「2」である。「1」は「不可」である。「5」に相当するのは、A評定であり(一部の大学では「S評定」)、「㊝(まるゆう)」であり、「秀(しゅう)」であった。

 今はちがうかもしれないが、早稲田大学の場合、法学部では、「優」の上に「㊝」(文字化けするかもしれないので説明すると、◯の中に「優」の字がある。「まるゆう」と読む)があり、教育部では「優」の上の「秀」というのがあった。第一文学部と理工学部では「A」評定が、「㊝(まるゆう)」や「秀」に相当し、「B」評定が普通の「優」である。

 つまり、大学3年生終了時に「優」が20個ないというのは、中学校の主要5教科の成績でいうと、「4」が2個で、残りの3個が「2」でしかないという成績を下回っているような成績なのである。最低の場合、「4」が2個、「2」が3個(つまり、50の科目のうち、「優」が20個で、「可」が30個)でも、指定校であれば、1流企業の入社試験を受けることができたのである。マスメディアの連中は、それを下回っているのである。

 それって、ただの莫迦(ばか)じゃんと思った人がいるかもしれないが、1流大学での学問を前にしたときには、本当にただの莫迦(ばか)だったのである。

 だから、マスメディアでは、30年先、100年先のことを考えた行動すらできない者が多いのである。自分を高く評価しないこんな社会なんか、壊れてしまえと考えてしまうらしい。だから、反日になる。これは、左翼も同じである。

 勿論(もちろん)成績のよくなかった者が皆(みな)、偏向し、反日になるわけではない。「自分はこの程度のものだったか」と諦観(ていかん)する者もいる。というよりも、寧(むし)ろ、そのほうが圧倒的多数であろう。

 また、頭がよかったために、クラス担任がこの子は大学に進学させるべきであると、親を説得して、本人には強い進学の意志がなく、勉学の意欲もなかったのに、1流大学に進学させられて、大学在学中には勉学以外の好きなことに打ち込み、その結果、成績がよくなかったというのもいるが、そういう者は、別段、1流企業に入れないことで、おかしくはならない。そもそも、1流企業に入りたいとは思っていない。


 1950年代後半から1973年までは高度経済成長期である。製造業に就職するのが花形であった。そうした職種を目指していたものの、「優」が20個なかったから、マスメディアにしか就職できなかった。

 こういう事例がある。中條高德(なかじょうたかのり)アサヒビール名誉顧問の『孫からの質問状 おじいちゃん 戦争のことを教えて』という著書ではつぎのことが書いてある。

……新聞社の就職試験を受けるつもりだと話すと、私の両親、ことに母親は大反対した。新聞記者になどなったら死んでしまうとさえいって、涙を流すのだ。……母には新聞といえばいわゆるアカ新聞、ゴロツキ、いまでいうブラックジャーナリズムのイメージが強くあったのだろう。「新聞などというものは品性下劣な世界で、人間の屑(くず)がやることです」とさえいう。
『孫からの質問状 おじいちゃん 戦争のことを教えて』中條高德著、小学館文庫2002年9月1日初版第1刷発行pp.102-103

 早稲田大学理工学部では、平均評定B以上で、無試験でそのまま大学院に進学できた。また、英国の名門大学院への進学ではGDP3.3から3.6が望ましい。中堅の大学院でも2.7から3.0は必要である。GDP (Grade Point Average)とは、A評定を「4」、B評定を「3」、C評定を「2」、D評定を「1」とし、その合計を総科目数で割るものである。

 このあたりを基準に考えると、早稲田の学生の65%以上は、所謂(いわゆる)落ちこぼれなのである。「マスコミへの就職に強い早稲田」というイメージがあるが、これは間違いである。「マスコミくらいしか就職試験を受けさせてもらえない学生が半分くらいいる早稲田」が正確なところである。また、1万人が入学して9千人が卒業するのだが、大学中途退学者は、10%ではなく、15%くらいであろう。5%分は、学士入学による3年編入で補(おぎな)っている。

 高田馬場や早稲田鶴巻町などにマスコミへの就職用専門予備校があるのも、そういう理由からである。入学時にマスメディア志望でなかった学生が、1年終了時に、突然、マスコミ志望に変わり、そうした予備校に通い出した例をいくつか知っているが、これは、1年終了時の成績からして、3年終了時に「優」を20個、確保できないということが判明したから、このままではまともな会社には入社できないと知って、「マスコミ志望」に転向(てんこう)したのである。


 つぎに、モデル=ケースを考えてみよう。実在の人物をモデルにしているが、推測によるものもあるので、凡(すべ)てが事実であるとは思わないでもらいたい。

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 偉くなりたいと思って、努力したが、立派な国立大学には進学できず、早稲田大学政治経済学部しか行けなかった。なお、共通1次試験導入前は、早稲田大学に限らず、私立大学は、今よりも偏差値が10から15、低かった。早稲田にしか進学できなかったというのは、相当な精神的ダメージがあるわけだ。

 それでも、気をとり直して、勉学に励(はげ)めば、出世コースには乗れなくてもよいから、それなりの1流企業に入社できるかもしれないと思って頑張(がんば)ってはみた。しかし、「優」が20個とれそうになかった。

 それならと、「優」が20個以下でも入れる大手マスコミを志望することにする。

 努力の甲斐(かい)あって、なんとか、朝日新聞社に採用してもらった。周りも「優」が20個以下だから、気後れせずに済むと思うと、入社式が楽しみになった。

 ところが、配属先が社会部だった。そのころの朝日新聞の社長は、政治部出身者が社長になり、そのつぎは経済部出身者が社長になり、そのまたつぎは政治部出身となるという所謂(いわゆる)襷掛(たすきが)け人事であった。つまり、社会部にまわされたということは、はじめから「社長の器(うつわ)」ではあるわけがないと宣告されたも同然である。「優」が20個とれなかった者のなかで、さらに能力が低いと認定されたわけだ。

 さらには、ヨーロッパの言語を習得するには学習能力が低いと判断され、日本人にとって習得が容易(ようい)とされる朝鮮語を学ぶようにと指示される。大韓民国の大学に留学させられ、千葉支局・大韓民国特派員・中華人民共和国特派員になる。パリ支局やワシントンD.C.支局が羨(うらや)ましくてしょうがなかった。

 いくら努力しても、爪(つめ)の先ほども報われない、こんな日本は、壊れてしまえという気持ちになる。

 そして、彼は、朝日新聞の社会面で、日本に重大な悪影響を与える誤報記事を意図的に書いた。
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 朝日新聞などを揶揄(やゆ)することばにつぎのものがある。

学歴社会を批判して、自社は有名大卒のみを採用する。

 ところが、厳密(げんみつ)にいうと、有名大卒といっても「優」が20個なかったのであるから、「高学歴」ではない。高いレベルの学問をこなしていないからである。「高学校歴」でしかない。だから、朝日新聞の社会面では、勉強ができないからといって莫迦(ばか)にするなという論調がみられるのである。彼らは大学レベルの勉強ができなかったのだ。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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