2009年2月7日土曜日

「右に見える競馬場 左はビール工場」って、見えへんやんか。

 松任谷由美が、まだ荒井由美だったころ、「中央フリー・ウェイ」という曲を唄っていた。こんな歌詞だ。

中央フリーウェイ
作詞:荒井由美 作曲:荒井由美

中央フリーウェイ
調布基地を追い越し 山にむかって行けば
黄昏(たそがれ)が フロントグラスを染めて広がる
中央フリーウェイ
片手で持つハンドル 片手で肩を抱いて
愛してるって言っても きこえない
風が強くて
町の灯が やがてまたたきだす
二人して流星になったみたい
中央フリーウェイ
右に見える競馬場 左はビール工場
この道はまるで滑走路 夜空に続く

中央フリーウェイ
初めて会った頃は 毎日ドライブしたのに
このごろは ちょっと冷たいね
送りもせずに
町の灯が やがてまたたきだす
二人して流星になったみたい
中央フリーウェイ
右に見える競馬場 左はビール工場
この道はまるで滑走路 夜空に続く
夜空に続く 夜空に続く

 初めて中央自動車道を自動車で走ったときに、競馬場もビール工場も見えなかった。防音壁があるから、見えないのである。
 そのときの自分の自動車は、当時、日本の量産車のなかでも車高が2番目に低いものだったので(いちばん低かったのは本田技研工業のNSX)、ふつうの乗用車なら見えるのかと思った。
 その後、調べたところでは、松任谷由美の熱心なファンが多数、中央自動車道を使ったドライブデートをしたが「見えなかった」と松任谷由美のラジオ番組かなにかに報告したそうである。
 じつは、松任谷由美は、地図を見ながら作詞しており、実際に中央自動車道で運転して作詞したわけではなかったそうだ。
 じゃあ、自分のクルマが特別に低いから見えないわけではなく、普通の乗用車でも見えないのかと、まあ、納得していた。

 ところが、あるとき、友人の引越しを手伝ったときのことだ。4トントラックの助手席からだと、府中の東京競馬場も、サントリーの武蔵野ビール工場も見えたのである。

 そうか、「中央フリーウェイ」は、4トントラック以上の大きい自動車でドライブデートをしていたのか! そう納得していたのであるが、しかし、つぎの動画では乗っている自動車が1960年代か1970年代あたりのアメリカ車風のオープンカーなのである。うーん。




 この動画の前半に登場するオープンカーだと、競馬場もビール工場も見えない。
 「愛してるって言っても きこえない 風が強くて」と歌詞にあるが、古いタイプのフロントガラスのオープンカーは風の巻き込みが激しいから、そりゃそうだ。

 夜、中央自動車道で上り坂で、前方の赤いテールランプの等間隔の列と、対向車線側のヘッドランプの等間隔の列が、空港の滑走路灯のように見える。「この道はまるで滑走路 夜空に続く」のくだりは、うまいこと言うなあと感心する。

 そういえば、今、ふっと思い出したが、以前、ミッドシップの2座席オープンカーで中央自動車道をドライブしていたら、助手席の女の子に「ねえ、わたしの左手の薬指のサイズ、7よ」って言われたことがある。そのときの記事はここをクリック→ねえ、私の左手の薬指のサイズ、7よ。

   

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早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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