異常なまでに忙しかったが、そのときに催されていたウィリアム=ブレークWilliam Blakeの展示をふたりともどうしても観たかった。
彼女をオートバイに乗せて行ったり、車で迎えに行ったりする時間的な余裕はなかった。
そこで、彼女は電車で、ぼくはオートバイで現地に赴(おもむ)き、西洋美術館で待ち合わせて、一緒に絵を眺(なが)めて、その場で別れるということになった。
彼女をオートバイに乗せて行ったり、車で迎えに行ったりする時間的な余裕はなかった。
そこで、彼女は電車で、ぼくはオートバイで現地に赴(おもむ)き、西洋美術館で待ち合わせて、一緒に絵を眺(なが)めて、その場で別れるということになった。
「じゃあ、外で待ってるのは嫌だから、敷地(しきち)の中で待ってる」と言う。
「敷地のどのあたりにいる? 『カレーの人々』の前?」とぼくは訊(き)いた。「カレーの人々」は彫刻の名前だ。
「そうね、私、『地獄の門』の前で待ってる」と彼女は言った。
「地獄の門」Le Porte de l'Enferはオーギュスト=ロダンの作品である。
ロダンといえば、「考える人」Le Penseurが有名だが、「考える人」は「地獄の門」を構成する群像のひとつとして造られたものである。
「地獄の門」そのものは、ダンテDanteの『神曲』Divina Commediaに登場する地獄への入り口の門である。
「考える人」は、ダンテが地獄の門を前にしてその門をくぐるかどうかを迷っているものだ。
だから、「考える人」というのは、じつは「迷っている人」と訳すのが適切なんじゃないかな。
ロダンといえば、「考える人」Le Penseurが有名だが、「考える人」は「地獄の門」を構成する群像のひとつとして造られたものである。
「地獄の門」そのものは、ダンテDanteの『神曲』Divina Commediaに登場する地獄への入り口の門である。
「考える人」は、ダンテが地獄の門を前にしてその門をくぐるかどうかを迷っているものだ。
だから、「考える人」というのは、じつは「迷っている人」と訳すのが適切なんじゃないかな。
地獄の門 Le Porte de l'Enfer
当日、オートバイで西洋美術館の近くまで行き、分厚い革ジャンに、フルフェイスの真っ白のヘルメットを手に、西洋美術館に入った。
ほほえみながら、小さく手を振っている彼女が、地獄の門の前にいた。
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