大学生のときに、キェルケゴールの講義を受けたが、さっぱりわからなかった。
たとえば『死に至る病』の冒頭では、「人間は精神である。しかし、精神とは何であるか。精神とは自己である。しかし、自己とは何であるか。自己とは、一つの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである」と書いてある。
このキェルケゴールにしても、フリードリッヒ=ニーチェFriedrich Nietzscheにしても、思い込みが激しくて、行間(ぎょうかん)が飛びまくり、飛躍(ひやく)しまくる。ついでにいうと、ニーチェが好きな人は、元・苛(いじ)められっ子だったり、実際の能力以上に自己評価が高すぎたりする人が多い。
さっぱり理解できなかったが、学年末にはレポートを執筆して、提出しなければならない。
しかたがないから、繰り返し読み返して、レポートをしたためた。
ところが、私は、理解していなくても、適切に要約する能力があった。
簡単なたとえを挙げると、「AならばBである」「BであるならばCである」とあれば、「AならばCである」と要約できる。こういうことを、複雑な論文でもできると、理解してもいない文章なのに的確に要約できるのである。
成績は最高の「A評定」であった。
理解していないのに、「A評定」というのはおかしいのではないかと思ったが、どうやら、世の中のほとんどの人は、きちんと要約することすらできない人ばかりらしい。ちゃんと理解したのであれば、その内容から、新たな概念(がいねん)なり、知識なりを導出(どうしゅつ)できないといけないと思うのだが。
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