2013年5月14日火曜日

東京藝術大学には校歌がない。

 東京藝術(げいじゅつ)大学ともなれば、どのくらいに技巧的(ぎこうてき)な校歌なのだろうと気になって調べた。

 東京美術学校(現在の東京藝術大学美術学部)には、校歌があった。美術学校の学生が作詞をして、東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)の山田耕筰(やまだこうさく)が作曲したものである。

 しかし、東京藝術大学そのものには、今でも校歌はない。

 ほかにも、東京大学のように校歌のない大学はあるが、旧帝国大学には、校歌の替(か)わりとなる寮歌や応援歌がある。

 一方、東京藝術大学は、その前身である東京音楽学校時代も含めて、卒業生や教員、大学・学校が直接に依頼を受けったものまで含め、夥(おびただ)しいまでの校歌のみならず、市歌・社歌・団体歌を嘱託作曲(しょくたくさっきょく)している。

 たとえば、信時潔(のぶとききよし)という教員は、894曲もの校歌を作曲している。慶應義塾塾歌・学習院院歌(いんか)・東京都立西高等学校校歌・灘高等学校校歌・日立製作所社歌などはこの人の作曲による。また、ついでながら、第二国歌とまでいわれた「海ゆかば」も作曲している。「海ゆかば」やそのほかの軍歌の作曲により、戦後は不遇だったらしい。

 東京藝術大学はあくまでも供給(きょうきゅう)する側なので、校歌がないというのはおもしろい。

追記:最近、「芸術」ではなく「藝術」を使用する大学が増えているようだ。東京藝術大学や日本大学藝術学部などである。「藝」と「芸」は、もともとは、まったく別の漢字だったので、本来の正しい意味の漢字である「藝術」を使いたがるようになっている。東京藝術大学は以前から校門の看板には「藝術」を使用していたが、日本大学藝術学部は、曾(かつ)て、「芸術」を使用しており、日本大学藝術学部に通う教え子に、看板の漢字に知性の差が出ているとからかっていたのだが、校舎の建て替えをしてから、看板が「日本大学藝術学部」となっている。ちょっと、残念だ。

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早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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