2013年6月5日水曜日

ニースケンス=キック:ゴールキーパーめがけてゴールのど真ん中にペナルティ=キックを蹴り込むのを「ニースケンス=キック」と言ったが、消え去っている。

 昨日(2013年6月4日)のワールドカップ予選、日本代表対オーストラリア代表の試合で、本田圭佑(ほんだけいすけ)がペナルティ=キックをゴールのど真ん中に蹴り込み、引き分けに持ち込んだ。ゴールのど真ん中に蹴り込んだ度胸(どきょう)を賞讃(しょうさん)する者は少なくない。

 ペナルティ=キックで、ゴールのど真ん中めがけてボールを蹴(け)り込むるのを「ニースケンス=キックNeeskens Kick」と呼ばれたことがあったが、完全に消え去っている。

 1974年、ワールド=カップ西ドイツ大会の決勝で、ヨハン=クライフJphan Cruyffがペナルティ=エリア内で反則を受けた。ペナルティ=キックを蹴ることになったのはヨハン=ニースケンスJohan Neeskensだった。

 ヨハン=ニースケンスは躊躇(ためら)うことなく、ゴールのど真ん中に蹴り込んだ。

 ワールド=カップの決勝でこんなことができるのは、驚くべきことである。

 オランダはトータル=フットボールというそれまでにない概念の戦術で以(もっ)て、1974年のワールド=カップ西ドイツ大会を席巻(せっけん)した。めまぐるしくポジション=チェンジを繰り返すものだった。

 ヨハン=クライフは、当時としては、途方もない金額である7億円という移籍金で1973年にFCバルセロナに移籍し、ヨハン=ニースケンスも1974年にFCバルセロナに移籍した。さらには、1988年から1996年までFCバルセロナの監督を務めた。そのFCバルセロナの戦術がベースとなって、2010年のワールド=カップ南アフリカ共和国大会でスペイン代表が優勝している。

 1974年に西ドイツに負けたオランダのトータル=フットボール(を基礎とする戦術など)が2010年に優勝したわけだ。

 1974年のワールド=カップのあとで、西ドイツ代表の主将であるフランツ=ベッケンバウアーFranz Benckenbauerとオランダ代表のヨハン=クライフが、それぞれ、名言を残している。

フランツ=ベッケンバウアー
 
強い者が勝つのではない。勝った者が強いのだ。

 ヨハン=クライフ

美しく敗れることを恥と思うな。無様(ぶざま)に勝つことを恥と思え。

 このふたりは、試合が終わってからも、口喧嘩(くちげんか)をしていたわけだ。日本人のメンタリティー[=精神性]からすると、考えられないことだな。





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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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