2013年6月19日水曜日

主要登場キャラクターの命名の由来:宇宙戦艦ヤマト2199

思いつくままに書いてみる。間違っているのもあるだろう。

森雪(もりゆき)
森木深雪(もりきみゆき)という人物から松本零士がファンレターを貰(もら)ったので、間の2文字を消して、森雪とした。

沖田十三(おきたじゅうぞう)
沖田総司(おきたそうじ):新撰組隊士
海野十三(うんのじゅうざ、またはうんのじゅうぞう)日本のSFの始祖とされる作家

真田志郎(さなだしろう)
真田幸村(さなだゆきむら):安土桃山時代から江戸時代初期の武将

新見薫(にいみかおる)
新見錦(にいみにしき):新撰組隊士;芹沢鴨と親密であったという説があり、また、尊王攘夷派(そんのうじょういは)と関係があったらしい。
浅野薫(あさのかおる):新撰組隊士;新撰組を脱走し、御陵衛士(ごりょうえじ)に参加しようとしたが、伊東甲子太郎(いとうかしたろう)に拒絶される。

加藤三郎(かとうさぶろう)
加藤建夫(かとうたてお):大日本帝国陸軍の戦闘機操縦者・飛行第64戦隊(通称:加藤隼戦闘隊)の戦隊長
坂井三郎(さかいさぶろう):大日本帝国海軍のゼロ戦操縦者・『大空のサムライ』の著者

篠原弘樹(しのはらひろき)
篠原弘道(しのはらひろみち):大日本帝国陸軍の軍人、戦闘機操縦者。1939年5月27日の初陣(ういじん)で4機撃墜、翌日28日に6機撃墜し、エース=パイロットとなる。初陣(ういじん)から戦死するまでのわずか3か月で58機を撃墜(げきつい)。1日だけで11機撃墜の記録をもつ。この記録を上回るのはドイツ国防軍空軍のエーリヒ=アルフレート=ハルトマンErich Alfred "Bubi" Hartmannの1日12機だけである。「東洋のリヒトホーフェンRichthofen」との異名をもつ。篠原弘道にしても、リヒトホーフェンにしても、戦死しているんだよなあ。不吉な予感がする。
篠原泰之進(しのはらたいのしん):新撰組隊士

徳川彦左衛門(とくがわひこざえもん)
徳川家康(とくがわいえやす):征夷大将軍
大久保彦左衛門(おおくぼひこざえもん):江戸幕府の旗本・徳川家康の直臣(じきしん)

榎本勇(えのもといさみ)
榎本武揚(えのもとたけあき):江戸幕府の幕臣で、明治政府では大臣を歴任
近藤勇(こんどういさみ):新撰組隊士・近藤勇の別名は大久保大和

平田一(ひらたはじめ)
平田篤胤(ひらたあつたね):江戸時代後期の国学者・神道家
斎藤一(さいとうはじめ):新撰組隊士

土方竜(ひじかたりゅう)
土方歳三(ひじかたとしぞう):新撰組隊士
松井龍三郎(まついりゅうざぶろう):新撰組隊士
坂本龍馬(さかもとりょうま):海援隊や亀山社中を運営し、当時としては最強の兵器であるガトリング砲を売り捌(さば)いていた死の商人

南部康雄(なんぶやすお)
南部麒次郎(なんぶきじろう):帝国陸軍の兵器開発の技術将校・拳銃のニューナンブM60という名称は南部麒次郎に由来

藤堂平九郎(とうどうへいくろう)
藤堂平助(とうどうへいすけ):新撰組隊士
渋沢平九郎(しぶさわへいくろう):彰義隊(しょうぎたい)隊士・振武軍(しんぶぐん)参謀

山南修(やまなみおさむ)
山南敬助(やまなみけいすけ):新撰組隊士

芹沢虎徹(せいざわこてつ)
芹沢鴨(せりざわかも):新撰組隊士
虎徹(こてつ):江戸時代の刀工

山崎奨(やまざきすすむ)
山崎烝(やまざきすすむ):新撰組隊士

伊東真也(いとうしんや)
伊東甲子太郎(いとうかしたろう):新撰組隊士;新撰組を離脱し、御陵衛士(ごりょうえじ)を組織する。

原田真琴(はらだまこと)
原田左之助(はらださのすけ):新撰組隊士
誠(まこと):新撰組の隊旗(たいき)にある文字

星名透(ほしなとおる)
保科正之(ほしなまさゆき):江戸時代初期の大名・第二代将軍徳川秀忠の庶子(しょし)
なお、保科正之は「もし二心を抱けばわが子孫にあらず。面々決して従うべからず」と述べ、また『会津藩家訓十五箇条』の第一条には「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、藩主が裏切るようなことあれば、家臣は従ってはならない」と記している。星名透は、ヤマト計画本部長である藤堂長官の依頼で、イズモ計画派の動向を内偵・監視しており、イズモ計画派の伊東真也の反乱に加わるふりをするが、反乱を鎮圧する。伊東に「俺を裏切ったのか」と言われ、「嫌(いや)だな。表返(おもてがえ)っただけですよ」と答える。これのやりとり、すなわち、二心を抱かぬということから、「星名」が「保科」のことらしいと気がついた。

佐渡酒造(さどさけぞう)
新潟出身・酒好き

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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