2013年6月2日日曜日

実家のある和歌山県橋本市の神社で開催される新春オセロゲーム大会で、出入り禁止になったことがある。

 和歌山県橋本市隅田町垂井(すだちょうたるい)に隅田八幡神社がある。国宝に指定されている「隅田八幡神社人物画像鏡」が有名である。また、帝国陸軍航空本部長であった寺本熊市(てらもとくまいち)中将(1945年8月15日、玉音放送後に自決)は、隅田八幡神社の宮司(ぐうじ)の息子で、現在の寺本嘉幸宮司は寺本熊市の甥っ子(おいっこ)らしい。

 隅田八幡神社では、今でも開催されているのかどうかは知らないが、「新春オセロゲーム大会」があった。

 和歌山県はオセロゲーム後進県である。だから、オセロゲームの基本戦術についての書籍を1冊、読みさえすれば、ほぼ無敵になれる。

 私のオセロゲームの実力がどのくらいに大したことがないのかというと、上京後、3試合で2勝1敗以上の成績で初段が認定される月例大会に2回出場して、1勝1敗1引と1勝2敗の成績だった。おまけに、小学3年生に負けたことがある。もっとも、小学3年生あたりは、定石(じょうせき)を研究しておらず、わけのわからない手筋(てすじ)で打ってくるから、何を考えているのかがわからなくなって混乱するということもある。後に世界チャンピオンになる人物が、その数年前に、全日本大会の東京都予選で小学校低学年の出場者に大番狂(おおばんくる)わせで負けるということもあった。

 初段がとれない実力しかなくとも、当時の和歌山県ではほぼ無敵になってしまう。

 隅田八幡神社新春オセロゲーム大会は、小学生と中学生しか参加しない。中学生以上は私だけだった。

 普通に勝ってもおもしろくないと思って、33対31で勝つのを狙(ねら)うことにした。たいていは33対31で勝利した。

 さて、決勝である。

 一緒に参加した同級生が自分よりも格下で、実力がどの程度のものかを知っている場合、33対31で辛勝(しんしょう)した奴が決勝戦の相手となると、優勝できると思うのは当然であろう。優勝できると確信し切っているのである。

 ところが、決勝戦だけは、全力を出した。

 軽く64対0のパーフェクト勝ちだった。

 優勝できそうだと思っていたのに、パーフェクト負けを喫(きっ)すると、小学生は泣きそうな顔になった。

 大人げないといえば、大人げないが、当時の私は大人ではなかった。

 決勝戦でパーフェクト勝ちを3回、繰り返して、3年連続優勝をしたところ、寺本嘉幸宮司が神社で売っているものすべてをくれた。破魔矢(はまや)・絵馬・お守りなど、すべてである。

「これ、全部、上げますから、来年からは来ないでください」と言われた。

 出入り禁止になったわけだ。

 どうせなら、「殿堂入りです」とでも言ってくれたら、よかったのにねえ。


寺本嘉幸宮司


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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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