1976年に日本でF1が初開催された。そのときの名称は「F1世界選手権・イン・ジャパン」だった。星野一義はそのレースに旧式のマシンでスポット参戦し、一時は3位を走行していた。しかし、予算の都合でタイヤの予備が充分にはなかった。「交換するタイヤがなくてリタイヤ」という今なら考えられない理由でリタイヤとなった。もしも、交換するタイヤがあったならば……とだれもが思った。
ル=マン24時間レースでは、1990年に5位、98年には3位になっている。
1970年代半ばからは、全日本F2選手権・富士グランチャンピオンレースシリーズ・全日本ツーリングカー選手権などのチャンピオンの常連となっていた。
日本のF3000選手権に参戦した経験のあるF1レーサーたちからも一目を置かれていた。
これほどの男だから「日本一速い男」と呼ばれたのだ。
しかし、じつは、単なる速さだけなら、星野一義よりも速い男たちが、この日本にはいる。
航空自衛隊のF15イーグル戦闘機パイロットたちだ。彼らは、俗に、イーグルドライバーと呼ばれている。最高速度マッハ2.5だ。換算すると、だいたい時速3000キロメートルだ。
彼らこそが日本一速い男たちだ。
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