2009年5月8日金曜日

日本一速い男:星野一義

 星野一義(ほしのかずよし)は自動車レーサーであった。1970年半ばから「日本一速い男」と呼ばれ出した。歌手の近藤真彦のレーサーとしての師匠である。
 1976年に日本でF1が初開催された。そのときの名称は「F1世界選手権・イン・ジャパン」だった。星野一義はそのレースに旧式のマシンでスポット参戦し、一時は3位を走行していた。しかし、予算の都合でタイヤの予備が充分にはなかった。「交換するタイヤがなくてリタイヤ」という今なら考えられない理由でリタイヤとなった。もしも、交換するタイヤがあったならば……とだれもが思った。
 ル=マン24時間レースでは、1990年に5位、98年には3位になっている。
 1970年代半ばからは、全日本F2選手権・富士グランチャンピオンレースシリーズ・全日本ツーリングカー選手権などのチャンピオンの常連となっていた。
 日本のF3000選手権に参戦した経験のあるF1レーサーたちからも一目を置かれていた。
 これほどの男だから「日本一速い男」と呼ばれたのだ。

 しかし、じつは、単なる速さだけなら、星野一義よりも速い男たちが、この日本にはいる。

 航空自衛隊のF15イーグル戦闘機パイロットたちだ。彼らは、俗に、イーグルドライバーと呼ばれている。最高速度マッハ2.5だ。換算すると、だいたい時速3000キロメートルだ。
 彼らこそが日本一速い男たちだ。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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