2009年4月4日土曜日

日大芸術学部の看板が……

 日大芸術学部(日芸)の看板が、いつのまにか、日本大学術学部となっていた。「芸」の字が「藝」と正字体(旧字体ともいう)になっていた。
 ウェブサイトを見ても、「日本大学藝術学部」となっている。
 知るかぎり、「藝術」を使っている芸術大学は、東京藝術大学と日本大学藝術学部だけだ。
 東京藝術大学は、以前から、校門の看板では「藝」を使っていた。
 日芸は、以前は「芸術学部」だったと記憶している。どうも、「江古田キャンパス整備事業」が始まってから、看板の文字を「藝」に変えていたらしい。
 もともと、「芸」は「藝」の字を略したものではなく、まったく別の文字であった。本来の「芸」は音読み「ウン」しかなく、一種の香草のことであった。「わざ」「のり」などの意味はなかった。
 だから、けっこう以前には、漢字にやかましい人の場合、「藝術」を「芸術」とすることを嫌う場合がなくもなかった。
 「藝」の文字のほうが好きだから、「藝術学部」という看板には好感を抱いている。

0 件のコメント:

ブログ アーカイブ

自己紹介

自分の写真
和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

人気の投稿

pageTacker

フォロワー

StatCounter

ashi@