2009年8月1日土曜日

夏の甲子園予選が弱い自慢

私の出身高等学校は和歌山県立橋本高等学校である。

元・女学校なのに、学区ナンバーワン校であるのだが、和歌山県外の人には、元・旧制中学校だった高等学校がナンバーワンではないということで不思議がられる。

この点については別の機会に述べるとして、私が高校生だったとき、うちの高校は野球が弱かった。いや、今でも弱い。

夏の甲子園予選で、連続1回戦敗退の和歌山県記録を更新中だったし、連続無得点イニング数も同じく和歌山県記録更新中だった。

そんな状態なのに、運動部の部活動の予算が、ほかの運動部の数十倍というのはおかしいということで、生徒総会で訴えてみたが、一蹴(いっしゅう)された。

そんなにも弱い野球部だったが、私が1年生のとき、春の県大会で、たまたま準優勝した。

1学年上の投手がすごかったのである(確か、スポーツ推薦で同志社大学に進学したと記憶している)。

その投手はプレッシャーに弱いタイプだったらしく、1回戦敗退で、連続無得点イニング数も更新した。

うちの高校は、第1子長男・第1子長女が多く、さらには元・女学校に由来する校風のせいで、「競争」「戦い」には弱いところがある。

他校の生徒との喧嘩も弱く、逃げ足だけは速い。

私が高校3年生のときの甲子園予選では、試合中に監督が心臓発作を起こした。

花屋の若旦那で、店はまかせっきりで、高校の野球部の監督をしていた。

その監督もプレッシャーに弱いタイプだったらしい。

持病の心臓病をかかえていたのだが、試合中に心臓発作を起こし、救急車が来たりしていた。

私が高校に在籍していた3年間、夏の甲子園予選の連続1回戦敗退と連続無得点イニング数の和歌山県記録を着実に更新中していた

ところで、大阪府立生野高等学校というものすごく勉強のできる高校があるのだが、この高校の出身者の甲子園予選自慢がかっこいい。

野茂英雄が高校2年生のときに、完全試合やったやろ。対戦相手はな、うちやねん

羨(うらや)ましい。

どうせ、野球が弱いのであれば、このくらいの偉業は成し遂げてもらいたいものだ。



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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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