序破急とは、もともとは雅楽の演奏について用いられたことばであるが、曲を構成する3つの部分のことであるが、これをすべての芸事に通用するものとして論じたのが世阿弥である。世阿弥の著『風姿花伝』ではつぎのように述べられている。
問。能に、序破急をば何とか定(さだ)むべきや。
答。これ、やすき定めなり。一切の事に序破急あれば、申樂(さるがく)もこれ同じ。能の風情(ふぜい)をもて定むべし。先(ま)づ、脇の申樂には、いかにも、本説正しき事の、しとやかなるが、さのみに細かになく、音曲・働きも大方(おほかた)の風體(ふうてい)にて、する/\とやすくすべし。たとひ、能は少し次なりとも、祝言(しうげん)ならば、苦しかるまじ。これ、序なるがゆえなり。二番・三番になりては、得たる風體の、よき能をすべし。殊さら、挙句(あげく)急なれば、揉(も)み寄せて、手數(てかず)にいれてすべし。また、後日の脇の申樂には、昨日の脇に變(かは)れる風體をすべし。泣き申樂をば、後日などの中ほどに、よき時分を考へてすべし。
問い。能で、序破急はどうやって決めるべきなのか。
答え。これは、簡単に決められることである。すべてのものには序破急があるので、申楽もこれと同じである。曲の趣きをもって決めるべきである。まず、最初の申楽には、いかにも、確かな出典をもっていて、しとやかであるが、それほど細やかでなく、音曲・働きも大方の風体にて、するするとたやすくするべきである。祝賀の意を第一にするべきである。いかによい初演の能であっても、祝賀の意が欠けては仕方がない。たとえ能が少し今ひとつであっても、祝賀の意があれば見苦しいことはない。これは、序であるがゆえである。二番・三番になっては、よく心得た風体の、よい演能をするべきである。特に、最後の能は急に当たるので、調子を早め身の動きを力強くして、激しい演技をすべきである。また、つぎの日の初演の申楽には、昨日の初演と違った雰囲気のものをするべきである。涙を誘う猿楽は、つぎの日の中ほどに、よい時分を考えてするべきである。
有名なアニメ作品の題名に「序」「破」が用いられたことで、序破急が国語の入学試験で出題される可能性が高くなったといえる。
もともとは雅楽の用語だけれども、世阿弥が有名にしたものだから、雅楽に関してのものとしてではなく、あくまでも「世阿弥が論じたもの」として出題されるだろう。その場合、受験生のレベルにおうじて、ヒントを多くして、序破急を知らない受験生でも考えればわかるようにするなどの工夫をする。ときには、序破急について論じた文章を出題するであろう。
一方、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』を通じて、序破急を知ったアニメヲタクもいるわけで、単に序破急について訊ねるたけの出題では、アニヲタに利するだけなので、ちょっと変化球で、世阿弥のことばとして有名な「秘すれば花」「初心忘るべからず」などを出題するという手もある。
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