2009年3月13日金曜日

その昔、青山学院大学文学部の英語がむちゃくちゃ簡単だった年があって……

 ずいぶんと昔のことだが、青山学院大学文学部の入学試験で、英語が超易問、つまりむちゃくちゃ簡単だった年がったんだが、その年度に入学した友人からこんな話を聞いた。
 青山学院は、今よりは難しかった。大学入試は、だいたい1970年代・1980年代はどれもこれも今よりも難しかったんだが。当時の青山学院大学は、ちょこちょこと「こんな熟語を出すのか!?」というものを出したりしていた。
 たとえば、駿台予備校が駿台文庫の名義で発行している『新・英文法頻出問題演習』や、桐原書店が発行している『即戦ゼミ3 大学入試英語頻出問題総演習』で、(青山学院)のついている問題は、あまり目にしないものが多い。場合によっては、過去に青山学院しか出題したことがないようなものであったりする。さらに言えば、正解できなくてもよい問題、いわゆる「捨て問」というやつだったりする。正解できなくてもよいような難問を見せつけられると、こんなのまでできないと大学に行けないのかと思って、絶望的な気持ちになる高校生もいるんじゃないかと思うんだが。
 なんでもかんでも集めればよいわけではないと思うのだけど、問題集とすれば、これこれの問題があの問題集には載っていないと言われるのをおそれて、ついつい掲載してしまうのかもしれない。
 いっそのこと、特定の大学・学部ごとに英文法演習問題集を作りでもしたらよいのにと思うのだが、これは、採算が取れないから無理だろう。

 それはともかく、青山学院はとんでもない難問というか、瑣末な熟語・構文を出題したりしていたので、合格ラインは高くとも、満点が難しい大学という感じだった(あくまでも、昔の話ね)。
 ところが、ある年、出題者が、普通に英語の文献を読むのに不可欠でもないものを出題するのを嫌がったのか、それまでの出題傾向を無視して、自分の出題したいように出題したのか、真相は不明だが、ある年、青山学院とは思えないほど、英語がむちゃくちゃやさしかった年があった。
 満点、あるいは満点に近い得点というのが続出した年があったのだ。
 さて、友人はというと、なんだか英語はやさしかったなと思っただけだったそうだ。青山学院に入学して、同級生と話をすると、どいつもこいつも、「英語のことなら、俺様に任せておけ」という態度であったという。
 ところが、話してみると、どうにも、とてつもなく英語ができるわけでも、「すこぶる」つきの英語の達人というわけでもない。それなのに、周りの男子学生は、ほとんどみな、英語に一家言(いっかげん)あるというふうなのであったそうだ。
 友人は、どうしてこいつらは、並レベルの英語力なのに、英語に対して自信満々なのだろうか、不思議な大学に進学したもんだと思っていたという。
 後日、真相が判明した。だれもが90%以上の正解率で合格していたくらいにやさしい問題だったのだ。95%以上正解というのも、相当数いたんだろうな。そうなると、「ここじゃあ、英語で俺様に敵(かな)う者はめったにいないだろうな」と思ってしまうのも無理はないわな。

 それにしても、個人的に気になることがある。過去問演習で70%くらいしか正解できていなかったのに、本番だけが90%以上の正解率となったときに、「おかしい」と感じたのはどのくらいいたのだろうか? 

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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