ぼくが今よりもずっと若かったときの話だ。
ポットにシナモンスティックだけを入れて、お湯を注いだ。
ハッカのかおりがするだけの白湯(さゆ)だった。こんなものを、どうして好む人がいるのだろうかと思った。とくに、男性よりも女性がシナモンティーを好むらしいが、まったく理解できないと思った。
とはいえ、本当の感想をいうわけにはいかず、シナモンスティックをくれた東京女子大学の学生には、「ああいう、あっさりした感じの飲み物も、悪くはない」などと適当なことを行っておいたが、会話が進むうちに、ぼくが、シナモンだけを入れたポットにお湯を淹れて飲んだということが、相手に知られた。
彼女は大笑いしていた。
シナモンティというのは、紅茶の葉とシナモンスティックの両方を入れたポットにお湯を注いでこしらえるものだったのかと、初めて知った。
麦茶は、炒った大麦で淹(い)れるお茶である。
どくだみ茶も、どくだみの葉だけで淹れるお茶である。
蕎麦茶(そばちゃ)だって、焙煎(ばいせん)した蕎麦(それも、たいていは韃靼蕎麦(だったんそば)だけ)で淹(い)れている。
シナモンティーという名前から、「シナモンだけから淹れるお茶のようなもの」と推測するのは、なにもおかしくはないと思った。
しかし、反証事例があった。
ミルクティーだ。
「紅茶にミルクが入ったお茶」である。
決して、ミルクだけを入れたポットにお湯を注いでこしらえるものではない。
「紅茶にシナモンのかおりのついたお茶」と成り立ちが同じである。
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