著者は姓名判断のたぐいを行なおうとしたわけではなく、「メディア論」として、執筆した。
セーラームーンだったと記憶しているが、少女マンガ雑誌の連載されているだけのときのプレゼントつきの読者アンケートの名前の分布("子"のつく女の子の割合など)が、セーラームーンのテレビ放送開始後では、急激に変化したという。"子"のつく名前の女の子が激減したというか、テレビ放送開始後に新規に応募するようになった女の子には、名前に"子"がつかないのが多かった。
『"子"のつく名前の女の子は頭がいい――情報社会の家族』という書名は、おそらく、編集者が売り上げが伸びるようにと、扇動的なものを狙ったものだろう。話題にはなったから、この編集者は立派であるのは確かである。
ただし、この本が出版される以前から、塾関係者の間の一部では、"子"のつく名前の女の子が、上位クラスに多くなり、下位クラスには少ないということは、経験的に知られていた。
十数校あるそこそこ大手の進学塾(小学3年生から高校生3年生まで在籍)の比較的規模の大きい教室では、中学3年生のクラスが、10クラスくらいあり、トップクラスの女子生徒の名前には、全員"子"がついていたし、ボトムクラス(いちばん下のクラス)では、どの女子生徒にも"子"はついていなかった。1990年くらいのことだ。
最近では、"子"がつく名前は、本当に激減しているから、この例のようなところはもはやないだろう。
金原克範によれば、こういうことだったと思う。
保守的な家庭ならば、女の子の名前に"子"のつくものを選ぶ傾向が強い。
保守的ならば、テレビをあまり見ない。
メディアの影響を受けにくく、コミュニケーションがとれる。
金原克範は、もうひとつ、さかのぼったところまで分析していなかった。保守的な家庭の子どもが頭がいい傾向にあるとして、それはなぜか?
生徒の通う学校の名簿などを見たり、その他の情報を仕入れた結果、つぎの仮説を立てることは可能ではないかと考えた。
高学歴ほど、晩婚傾向が強く、そうでない場合は、早く結婚する傾向がある。
35歳が命名したくなる名前と、20歳が思いつく名前とでは、明らかに傾向が違うはずだ。
1990年あたりで"子"のつく名前の女の子は、1980年あたりに生まれているとして、そのとき、父親が35歳とすると、1945年生まれだ。その年代の親からすれば、女の子の名前に"子"がつくのは自然である。
一方、1980年に父親が20歳だとすると、1960年生まれで、その年代だと、"子"のつく名前の女の子が同級生には半数くらいだ。
親の年齢が高いときに生まれた子どもは、ちょっと保守的な命名と感じるものになる傾向があるにちがいない。
35歳で結婚した男性の第3子は、40歳から45歳に生まれているとする。一方、20歳で子どもが生まれた男性がいる。
20歳以上の年齢の開きが、命名を左右する。40歳の男性は、20歳から25歳の男性がつける名前よりは、いくぶん古風なものを選ぶであろう。
つまり、"子"のつく名前の女の子は、名前によって頭がよくなるのではなく、1980年あたりに生まれた女の子の場合、高学歴の父親が選ぶ名前には"子"が多かったから、結果的に、"子"のつく名前の女の子は、家庭環境の点でも遺伝子レベルの点でも、頭のよい子が多かったということであろう。
最近、男の子の名前の場合、漢字一文字で、訓読みの名前の場合、頭がよい傾向があるような気がしている。漢字一文字で訓読みの名前というのは、たとえば、亮(あきら)、享(すすむ)、誠(まこと)、昇(のぼる)、晋(すすむ)などである。
ちょっと保守的なんだが、充分なデータはないし、根拠もないんだけど。
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