2009年3月10日火曜日

中学進学までにこれだけは必ずできるようにしておいてほしいことは何かと中学校教員に問い合わせたら……

 百ます計算を再流行させた隂山(陰山)英男が、以前、中学進学までにこれだけのことは必ずできるようにしておいてほしいことは何かと、さまざまな中学校教員に問い合わせたことがある。
 「べつにない」という回答も多かったが、とりわけ、目立ち、かつ、すべての教科の教員から出された回答はつぎのものだった。

「どうでもええけど、相手が子どもやからゆうて、嘘(うそ)を教えるのはやめてもらえんかな。嘘だと納得させて、訂正するのがたいへんなんやから」

 全国各地の小学校教員が、子ども相手に嘘を教えているとは思えないが、関西での調査だったので、関西出身の私としては、納得できる。ウケるためなら、なんでもする関西人は、教員も含めて、少なくはないからだ。吉本興業の影響だと思われる。いや、ウケるためならなんでもする気質があるから、吉本興業が受け入れられたとも考えられるが。

 それはともかく、私自身が気になっている話がある。

挨拶(あいさつ)の際に、アメリカ人は握手をし、日本人はお辞儀をする。アメリカ人は、手に銃を持っていないことを示すために、握手をする。一方、日本人は、お辞儀をすることによって、相手が殴りやすい状態にすることで服従の姿勢を示す。

 こうした内容を生徒に教える教員は、小学校にも中学校にも多い。高校生以上になると、ほとんどだれもが聞いたことのあるネタであるようだ。
 ところが、この話が正しいということを証明した人はだれもいない。
 ある資料では、アメリカ合衆国の銃保有の全国平均は41%であり、別の資料では32%であるから、「手に銃を持っていないことを示す」というのは説得力に欠ける。また、銃保有率第2位のインドでも15%くらいだし、第3位の中国で10%くらいである。したがって、握手はする国のほとんどが、銃保有率が10%未満であるということになる。だから、「手に銃を持っていないこと」を示すために握手をするというのは説得力がない。
 日本人のお辞儀にしても、たとえば、お辞儀をした相手の頭を軽くちょこんと拳骨(げんこつ)で触れるなどの儀式的行為があれば、説得力を持つが、お互いにお辞儀をするのであれば、殴ることはできない。また、日本のみならず、お辞儀という習慣は、中国やヨーロッパにも存在するし、神を対象とするものも含めれば、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教にもある。
 握手とお辞儀の起源を語るのは、頭の中の世界地図に日本とアメリカしか存在しないような人物なのであろう。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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