ヴァイオリンは、楽器にお金をかければ、それに応じて、音色がよくなる。ヴァイオリンを演奏するには、投資が必要なのである。
ところが、エレクトリック=ヴァイオリンにはそれほど経済的負担がない。
ちなみにヤマハのサイレントバイオリンだと、SV130で本体価格72,000円、SV150で115,000円、エレクトリックバイオリンだと、EV204が139,000円、EV205(5弦)が155,000円だ。たったのこれだけでそこそこの性能である。
さて、エレクトリック=ヴァイオリンに対して批判的なアコースティック=ヴァイオリン愛好家にどんな意見があるかを紹介しておく。
・まったく別の楽器である。アコースティック=ギターとエレクトリック=ギター以上に違う。
・反応が鈍いので、表現力が低い。
・エレクトリック=ヴァイオリンが弾けても、アコースティック=ヴァイオリンが弾けることにはならない。
・音程が取り難い。
・重い。
・音色が非常に単純。
・電源が必要なので弾ける場所がかぎられる。
・騒音対策での自宅練習用なら、自宅練習を諦めるほうがまし。
・弓の返し(ボーイング)が雑でも気にならず、正しいボーイングが身につかない。
・重量バランスがまったく違うので、正しい構え方が身につかない。
・“ヴァイオリンの音”が出ない。
いうまでもなく、エレクトリック=ヴァイオリンと従来のアコースティック=ヴァイオリンはまったく違う楽器である。製品開発をしている技術者自身がそう考えている。違うものを較べるのは、そもそもおかしい。それに、違う楽器だといいながら、「同じ楽器」として、比較をしている人がいたりする。
アコースティック=ギターが演奏できるならば、エレクトリック=ギターも演奏できるが、その逆は不可であるのと同様に、エレクトリック=ヴァイオリンが演奏できても、アコースティック=ヴァイオリンは演奏できない。楽器の性質からすれば、こんなことは当たり前なのに、アコースティック=ヴァイオリン愛好家の一部は敢(あ)えて指摘する。
本来のヴァイオリン愛好家は、ヴァイオリンの音色が好きだからこそ愛好家であるのに、エレクトリック=ヴァイオリンは音色が非常に単純であると声を荒げる。エレクトリック=ヴァイオリンを弾く人は、音をいろいろと加工したいだけなんじゃないのかな。
ギターでは同じことは起こらなかったのではないかな? エレクトリック=ギターが弾けるからといって、アコースティック=ギターはちゃんと弾けないとか、エレクトリック=ギターの音色が嫌いだとか、そうした批判は記憶にない。エレクトリック=ギターに対する批判は「エレキは不良のもの」というくらいであったように思う。
ヴァイオリンとギターで、アコースティックのほうの愛好者の反応が違うのは、ギターの場合、もともと庶民的な楽器であったからであろう。そこに「電気を使った別の庶民」のグループができたからといって、なんらダメージを受けない。「エレキの人は、ああいう音が好きなのね。ぼくはこっちが好きだから」で終わっている。
一方、ヴァイオリンはというと、庶民的な楽器ではない。ちゃんとした楽器ならば、モダン=イタリアンでも、300万円くらいからしかない。本格的にやろうと思えば、庶民には手の出ないものであった。
ところが、まったく別の楽器のくせに「ヴァイオリン」を騙(かた)るものが登場した。エレクトリック=ヴァイオリンである。
もともと、ピアノも富裕層の楽器であった。ところが、高度経済成長期に、ヤマハが中流の家庭でもピアノが買えるように、ローンの制度を整えた。これで、普通の家庭でもピアノがもてるようなった。
その結果、「ピアノが弾ける」は「お嬢様」のシグナルではなくなり、ひとりでそれなりの曲が弾けて、富裕層であるシグナルの機能を果たすものはヴァイオリンくらいになった。
そのヴァイオリンをも、「エレクトリック」という形でヤマハは庶民的なものにしようとしているわけだ。
この状態で、エレクトリック=ヴァイオリンもヴァイオリンとして認めてしまうと、本来のアコースティック=ヴァイオリンに備わっているシグナルとしての機能が損なわれてしまう。「お嬢様」としてヴァイオリンを嗜(たしな)んできたこれまでの人生が台無しになってしまう。「庶民でもできる楽器の愛好者」の地位へと転落してしまうのである。エレクトリック=ヴァイオリンを認めると、場合によっては、1000万円以上つぎ込んだのが、無駄になってしまう。
エレクトリック=ヴァイオリンを貶(おとし)める人って、とくにある年齢以上の女性に多いように思うのだが、本当はヴァイオリンが好きなんじゃなくて、ヴァイオリンが備えているシグナルが好きなだけなんじゃないのかなと、思ったことがあったんだな。
あ、おれ、庶民だから、エレクトリック=ヴァイオリンがいいや。
0 件のコメント:
コメントを投稿