2009年1月3日土曜日

早稲田大学の校歌を知っていれば正解がわかる法学部の日本史の問題

 2008年2月の早稲田大学法学部の日本史の問題で、早稲田大学校歌の歌詞、それも1番の歌詞を知っていれば正解がわかる問題があった。

 まずは問題文を掲載する。

(前略)

 一方、民間においても福沢諭吉の慶応義塾、新島襄の同志社英学校、大隈重信の東京専門学校をはじめ、明治法律学校、英吉利法律学校やミッションスクールなどの私立学校が発展し、教育の普及に力を注ぎ、h 特色ある学風によって、新しい時代に相応しい新知識を身につけた多くの人材を世に送り出した

(問)

(中略)

12 下線hについて。小野梓は、東京専門学校の開校式で、不偏不党にして真正の学問を研究教授することを教育の目標とすると宣言した。この目標を表す小野の言葉を、4文字で記述解答用紙に記入しなさい。

つぎに早稲田大学校歌を載せる。

早稲田大学校歌

相馬御風 作詞  東儀鉄笛 作曲

都の西北 早稲田の杜(もり)に
聳(そび)ゆる甍(いらか)は われらが母校
われらが日ごろの 抱負を知るや
進取の精神 学の独立
現世を忘れぬ 久遠(くおん)の理想
かがやくわれらが 行手を見よや
わせだ わせだ わせだ わせだ
わせだ わせだ わせだ

東西古今の 文化の潮(うしお)
ひとつに渦巻く 大島国(だいとうこく)の
大なる使命を 担ひて立てる
われらが行く手は 窮り知らず
やがても久遠の 理想の影は
あまねく天下に 輝き布(し)かん
わせだ わせだ わせだ わせだ
わせだ わせだ わせだ

あれ見よ彼処(かしこ)の 常磐(ときは)の杜は
心の故郷(ふるさと) われらが母校
集まり散じて 人は変れど
仰ぐは同じき 理想の光
いざ声そろへて 空にとどろに
われらが母校の 名をば讃(たた)へん
わせだ わせだ わせだ わせだ
わせだ わせだ わせだ

 ということで、12の答えは「学の独立」でした。
 実際のところは、建学の精神として建学時に唱えられていたのは「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」だったので、大学のウェブサイトを熱心に閲覧した受験生のなかには「学問の独立」が思い浮かんだ者もいた可能性がなくもない。また、「在野精神」「反骨精神」と答えたら、少しは部分点がもらえたのだろうかという疑問がなくもない。
 以前から、早稲田大学の創立年度が1882年だということを知っていると正解できる問題が、ほぼ毎年、どこかの学部で出題されている。たとえば、つぎのようなぐあい。

大隈重信は、早期の憲法公布と国会の即時開設を説く一方、開拓使官有物払い下げをめぐりかつての盟友である伊藤博文ら薩長勢と対立し、参議を免官となり、下野したが、その翌年、東京専門学校を開設した。

 以上のようなことが書いてあって、大隈重信が下野したのは何年かという問題が出されたりする。東京専門学校の創立が1882年なので、下野したのは1881年が正解である。日本史で受験できる学部がたくさんあるのだから、毎年、どこかで出題されていてもおかしくはなし、実際に出題されている。こうした問題が正解できたからといって、有利になることはまったくなく、落とすようだと致命的になるにすぎない。

 早稲田大学系属早稲田実業学校中等部(いわゆる早稲田実業中学校)の入学試験で、早稲田実業を開設した人物は早稲田大学も開設した人物ですが、その人物の名前を漢字で答えなさいという問題を出して、あちこちの進学塾から顰蹙を買ったということがあった。小学6年生で「大隈重信」と漢字で書けるのは、逆に思想的偏りが感ぜられて、むしろ問題のような気がするのだが。

追記:
 自分自身は早稲田大学を卒業しているが、校歌は1番すら正確に唄えない。歌詞があやふやなのである。真面目に唄ったことがない。2番・3番となると壊滅的である。
 第1志望だったとしても、第一文学部哲学科哲学専修の学生には校歌が唄えないのが多いように思う。同じく理工学部の学生も校歌がちゃんと唄えないのが多いようだ。

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和歌山県橋本市出身。世界文化遺産である高野山の麓です。
和歌山県立橋本高等学校を経て、早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業。
B型Rh+。天秤座。家紋は「丸に九枚笹」。
大叔父(おおおじ)は精鋭集団である帝国陸軍航空審査部所属で、「キ61(きろくいち)の神様」と呼ばれた坂井雅夫少尉。キ61は三式戦闘機「飛燕(ひえん)」のことである。

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