よほどのことがないかぎり、これが最後の出撃であり、ほとんどは生きて帰れないだろうと思われていた。出撃の位置づけも「一億総特攻の魁(さきがけ)」であった。総員のほとんどは戦死するだろうと考えられていた。
そういう出撃に際して、下艦を命ぜられたときの気持ちはどういうものなんだろうな? 友人・知人が特攻に出かけるときに自分だけが日本に残ったままというのは、複雑な気持ちだろうな。
下艦を命ぜられた若者たちは、海軍兵学校をきわめて優秀な成績で卒業した士官たちだった。これほどまでに優秀な人材を今回の出撃で死なせるのは、じつにもったいないという判断がなされたわけだ。敗戦後の日本の復興をふまえると、優秀な人材はできるかぎり残しておきたいわけだ。
竹内久美子という動物行動学に関わる書物を著(あらわ)している人物がいる。書物で取り上げられる話題がおもしろくて、ほとんどを読んでいる。そのなかで、頭がよいということで生死に関わることはあまりないが、自分の遺伝子を有効に残すという点で、女性にモテるということは頭がよいよりも重要であるという意味のことを書いていた。
「頭がよいと死なずにすむことが多い」と思ったので、みょうなひっかかりを感じていた。
気になって、いろいろと調べていくと、実際には、頭がよいということが生死に関わることが多く見つかった。海軍兵学校を優秀な成績で卒業した軍人がその一例である。ほかにもいろいろと見つかった。
それにしても、気になるのは、最後の出撃にあたって、下艦させられた仕官の代わりに乗艦させられた兵士たちは、いったい、どのような人たちだったのだろうか? 失礼な言い方をすれば、「死んでも日本の将来にはさほど影響がない」と思われた人たちとなってしまう。
どういう人なんだろう? うーん、気になる。しかし、本格的に調べようと思えば、地味な史料の読み込みを延々としなければならなさそうで、そんな時間はない。でも、気になる。
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