もっとも、早慶だけに肥満体質の学生がいなくなるわけではない。そこそこ以上の大学、たとえば、東京六大学やMARCHにも肥満体質に学生はめったにいない。ぽっちゃりしているなと思える学生の場合でも、たいていは筋肉質タイプの肥満体型であって、大相撲でいうところの「アンコ型」はいない。だから、「早慶にデブなし」にこだわらなくとも、「東大にデブなし」でも「東京六大学にデブなし」でも、かまわない。
そういえば、難しい本を読むと太れなくなるので、哲学書を読むことを力士に禁止している相撲部屋があるそうだ(伝聞情報)。
『大学図鑑!2006』の大妻女子大学の「本音で一言!」という欄には「モデルのような美人が多い。高校まではクラス2~3人はいた肥満体質の人がまったくいない」と書かれている。肥満体質だと、一定レベル以上の大学には進学できにくいということがわかるだろう。
ずいぶんと前のことだが、「早慶にデブなし」と言っていたら、ある日、保護者から反論(?)された。
「『早慶にデブなし』と言っているそうですが、私から言っておきますが、学習院にもデブはいません!」
「そうでしょうね」と流したが、よく考えなくてもわかることだが、「早慶にデブなし」という命題からは、「学習院にはデブがいる」という命題はどうやっても導き出せない。なぜ、反論(?)されたのか、いまだにわからない。
「太った豚になるよりも、痩せたソクラテスになれ」ということばがある。1964年の東京大学の卒業式で大河内一男総長が述べたものである。これは英国の功利主義の哲学者ジョン=スチュワート=ミルJohn Stuart Millがその著『功利主義』Utilitarianismで述べたつぎの文が元になっている。
It is better to be a human being {dissatisfied} than a pig {satisfied}; better to be Socrates {dissatisfied} than a fool {satisfied}.
満足した豚よりも不満足な人間になるほうがよい。満足した愚か者よりも不満足なソクラテスになるほうがよい。
大河内一男の影響で、その後は、「倫理・社会」(今の「倫理」)の教科書にジョン=スチュワート=ミルのこのことばが載るようになった。
ある相撲部屋の例に見られるように、難しい本を読むと太りにくくなるのは、深く考えると胃があまり働かなくなるからだろう。将棋指しは、数日に亙(わた)る対戦のときには、胃に負担をかけないようにするために、ぐつぐつに煮込んだうどんを食べたりするそうだ。
また、肥満体質となっている場合、幼少の頃からの食生活がよくない場合もあるようだ。
いずれにしろ、肥満体質は勉強には向いていない部分があると考えるのは、不当なことではないようだ。しかし、してみると、肥満体質である不利益をこうむりながらも、同じ大学に進学した者は、脳そのものの理解力が高いということにならないのだろうか? つまり、肥満体質であるということは、脳の中での血流が少ないということが考えられるから、単位時間あたりのレシチンの消費量が少なくなるはずだが、それで同じ大学・学部ということは、たとえば、当該大学・学部に合格した一般的な学生がレシチンを10g消費することで理解できるものを、2g消費したくらいで理解できているということになる可能性がなくもない。
勉強と肥満体質の関係について話したところ、京都大学出身の友人が「いや、京大にはすごいデブがひとりいた。アンコ型のすごいデブだった」と言った。もしかすると、その人は脳の機能のみならず、なにか根本のところで頭がよいのかもしれないな。
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